島根県・鳥取県・岡山県・広島県・兵庫県へはるばる調査してきましたので
このコーナーを新設して調査結果を発表します。
今回調査したコースは国道9号線を中心に島根県・鳥取県、兵庫県西部の佐用郡をかすめて
中国自動車道付近を中心に岡山県北部・広島県北部(当然高速道路は利用していない)
広島県三次市からは江の川沿いに江津市までを調査しました。
ほんの一部分の調査ではありますが、どうぞご覧ください。

「女神綿」は今回の調査での大きな収穫ですが
いったい何者なのか、さっぱり分りません。
撮影地の大佐町で3ヶ所確認しましたので
岡山県に関係するメーカーではないかと推察します。
倉敷の金森さんに聞いてみましょう。
「綿」の看板は業界用語として脱脂綿の看板です。
現在でこそ生理用品は充実していますが
昭和30年代ころまでは、脱脂綿を使用していました。
そのために、「ニコホン綿」や「天使綿」のような
ネーミングが付けられていたわけです。
さて「女神綿」もその線を強く感じるのですが・・・
撮影地:岡山県大佐町田治部
大佐町の西隣りの新見市に
三社女体神社があるのを地図で発見しました。
さいたま市にも氷川女体神社があるそうです。
祭神は奇稲田姫命(クシナダヒメノミコト)であるそうです。
もっとも天照大神も女性であると言われますので
よけいに三社の意味が知りたくなります。
おそらく「女神綿」とは関係ないと思いますが
三社女体神社が気になりだしました。
撮影地:岡山県大佐町田治部
今まで見た「不二わた」「天使綿」看板の中で
もっとも立派な状態で残っています。
島根県では、このレンガ色をした屋根瓦を
いたるところで見かけます。
融雪効果のある石州瓦です。
山陰地方の平野部では積雪は少ないものの
九州に住んでいる私にとって
冬季に山陰地方に看板捜しに行こうとは思いません。
撮影地:島根県のどこか
宍道町は宍道湖の南部に面したところにあります。
宍道湖は国土交通省の標識によると
一級河川斐伊川水系になっています。
宍道湖は中海と大橋川でつながっていますが
海水が混じる汽水湖であるそうです。
満潮時に大橋川を海水が遡るからでしょう。
また、宍道の名前の由来は出雲風土記に
書かれている猪の通る道(猪道)にあるそうです。
撮影地:島根県宍道町宍道
山陰線宍道駅から芸備線備後落合駅まで
木次線が通っています。
山間部を縫うように、チョコチョコと一両だけの
気動車が走っています。
木次線は赤字路線で地元では存続運動の看板が
線路沿いに立ててあります。
芸備線も三次〜新見間(地図上は備中神代)では
運行数の少ない路線で、まさに過疎路線の代表です。
中国地方の山間部の町の中心地には
途中の寂れた山道に対照的な突然、開かれた
商店街と集落が現れてきて驚かされます。
そういう地元の人の足として大切な存在なのでしょう。
撮影地:島根県宍道町宍道
宍道町の中心部には国の重要文化財に
指定してある八雲本陣があります。
今も割烹料理店として実際に家屋を使用してあります。
その八雲本陣の真前に、このワット本舗の小型看板が
小さな路地に貼ってあります。
パイプで隠れていますが、宍道三区の木札看板も
味があっていいですね。
撮影地:島根県宍道町宍道
どこかの看板博物館の展示品かと
思ってしまうような小型看板が並んでいます。
正真正銘の外壁に貼ってある看板です。
出雲市には出雲ドームがあります。
木造の建造物だそうです。
撮影地から白いドームの屋根が見えていました。
ドーム内見学は有料だそうです。
「やまたのおろち」伝説を生んだ斐伊川河口流域の
出雲平野は山陰地方ではもっとも平らな地域です。
宍道湖と中海が、さらに空間的広さを増大しています。
小さな看板と対照的な辺りの風景です。
撮影地:島根県出雲市日下町
安来市は島根県の最東部で鳥取県米子市と
接しています。
県境を挟んだ市町村合併の機運が高い地域の
ひとつでもあります。
安来市といえば、安来節とどじょうすくいが有名です。
安来市役所のホームページはユニークで面白いです。
昔写真館のレトロコーナーもあります。
是非ともご覧ください。
http://www.city.yasugi.shimane.jp/index.html
撮影地の島田は厄払いの観音様で信仰のある
清水寺への入り口にあたるところです。
撮影地:島根県安来市島田
九州では、あまりお眼にかからない「澤之鶴」看板です。
珍しくはないでしょうが、アップで撮影しました。
安来市はISO14001を認証取得されています。
島根県の自治体では始めてであるそうです。
大牟田市ではRDF発電所事業を先駆的と
自慢しているのと大違いで、すばらしいと思います。
やはり、安来節の効果なのでしょうか。
炭鉱節とは、とても違いますね。
撮影地:島根県安来市島田
島根県の最東部、安来市の看板屋敷です。
鳥取県との県境の近くです。
しかし、いったん鳥取県に入りますと
ほとんど全く看板を見かけなくなります。
私の調査が不十分なのかもしれませんが
鳥取県では海岸沿いの旧道をかなり詳しく
調査したのですが坊主になりました。
この安来の看板は、そういう点で意味があります。
撮影地:島根県安来市中海町
この鉄板がなければ見栄えのする看板なのですが
この美的感覚には参ります。
おそらくトタン板を切断するのが面倒だったのでしょう。
斐川町は斐伊川の河口部に位地しており
宍道湖に面する出雲空港のある町です。
出雲神話の時代である古代では
現在の平野部は内海であり生活圏は丘陵部であったと
斐川町ホームページで説明してあります。
また簸川郡斐川町と郡名が町名と異なっています。
福岡県にも糟屋郡粕屋町と漢字が異なる町があります。
撮影地:島根県斐川町荘原
大田市は三瓶山と石見銀山のある
豊かな自然のあるところです。
三瓶山は標高こそ1126mしかありませんが
火山の独立峰であることと自然が残されていることから
登山客で賑わっているようです。
大田市駅で登山客に何人か遭遇しました。
大田市久手は大田市北部の日本海に面した平野部の
半農半漁の集落です。
「中将湯」看板が見えています。
ツムラ(津村順天堂)の看板商品として有名ですね。
撮影地:島根県大田市久手
山陰は名前からして日照時間が少ないイメージを
持ってしまいますが
撮影した日は8月にもかかわらず日本海に前線が
停滞しており、雨が断続的に降っていました。
薄暗く写っていますが午前6時ころです。
夜中に車を走らせて三隅町中央公園で仮眠しました。
島根県三隅町の三隅中央公園には石正美術館の
立派な建物があります。
辺りは、とても静かなところで仮眠をするならば
最適のところです。熟睡してしまいます。
この看板屋敷は国道9号線の古びたラブホテル
(それでも営業していた)の近くにあります。
撮影地:島根県浜田市折居
雨が降る中を撮影したためレンズに水滴が
付いています。
浜田市折居は浜田市の西端に位置します。
折居海水浴場の砂浜が広がる海岸の集落です。
同じ浜田市内でも東部の海岸は砂浜が連続しており
石見海浜公園の県立公園として整備されています。
いずれも美しい海岸のあるところで
ゆっくりと観光するのに良いところです。
撮影地:島根県浜田市折居
山口県萩市の長門大井駅付近の看板は
明城のみでポマードの部分が欠落しています。
ここの看板群は重ねて貼ってあるので
貼られた順番が簡単に分ります。
ムヒの看板は有名なのですが
わた屋の看板と競争するように貼っていたと
弊社看板貼りのOBが言っていたように
昭和30年代に貼られた初期の看板です。
撮影地:島根県浜田市折居
この一文字看板は「神の」で分るように
左から貼るために製作されたものです。
右から貼られているために
一見、戦前の看板かと見えますが
単に、この店の方が右から貼られたに過ぎません。
九州では見かけない阪神の自転車です。
浜田市周布は浜田市の西部にある港町です。
周布について詳細な説明が周布小学校の
ホームページで紹介してあります。
http://www.elpasso.co.jp/sufu/furu/furu.html
撮影地:島根県浜田市周布
島根県桜江町は江の川が町を横断しています。
この狭い道路は江の川の南側を通る県道です。
JR三江線石見川越付近の集落の様子です。
古い看板は現在の国道ではなく
鉄道線路沿いに残っているだろうと思って
この狭い県道を走ったのですが
川沿いの道路であるため拡幅工事が出来ず
本当に狭い道路でした。
会社の車のサニーで看板捜しをしていますが
かなりオンボロになってきているので
ものすごい田舎道を走る場合は少々不安です。
JAFに私自身は加入してはいますが
出来ればお世話になりたくないものです。
撮影地:島根県桜江町川越
同じ建物の両側に赤白のネガポジ状態に
なっているドラゴンミシンの看板です。
中国山地には熊が生息しているようですが
猪の農作物への被害が結構あるようです。
桜江町役場ホームページには
定住対策情報コーナーがあります。
過疎の人口流出は顕著なものですが
そこに猪被害対策補助金の説明もあります。
中心地の川戸付近を除けば、ほとんどが起伏のある
山間部の地形なのでしょう。
熊本県球磨川下流の坂本村を連想するような
島根県桜江町です。
撮影地:島根県桜江町川越
前述したように鳥取県はレトロ看板の不毛地帯です。
名和町・赤碕町・東伯町の国道9号線付近の旧道
泊村・青谷町・気高町の旧道を隈なく捜したつもりですが
看板が見当たりませんでした。
この看板は数少ない壁貼り看板です。
しかし、浜村温泉の駅前風景や赤碕町・東伯町の
日本海沿いの狭く民家がぎっしりと詰まった旧道など
国道9号線を単純に走っているならば見ることの
出来ない風景を実感できるのはお勧めであります。
ただし運転は大変ではありますのでご用心を
撮影地:鳥取県泊村原
ケースさえなかったならば完全に見えるのですが
地酒らしき銘柄が並んでいます。
詳しくは琺瑯委さんに任せることにしましょう。
用瀬町の南隣りは智頭町です。
鳥取県智頭町から兵庫県上郡町まで
第三セクターの智頭急行が通っています。
平成6年開業ということで、山間部を橋梁とトンネルで
貫いおり地方ローカル線とは様子が違います。
この智頭急行に沿うようにして看板捜しをしましたが
収穫はありませんでした。
岡山県大原町の大原本陣跡や兵庫県佐用町の
平福の町並みなど見所はありましたが坊主です。
撮影地:鳥取県用瀬町用瀬
岡山県作東町はバレンタインの古里として
アピールしている町です。
その由来が何とも不明なのですが
とにかくバレンタインをテーマにしているようです。
結局坊主になってしまった兵庫県佐用町・上月町から
県境を越えたすぐの開けた盆地が作東町土居です。
旧出雲街道の宿場町であったそうです。
撮影地:岡山県作東町土居
兵庫県竜野市は醤油の産地として有名です。
ヒガシマル醤油をはじめとして
淡口醤油のメーカーが軒を連ねているそうです。
関西は淡口醤油が主流で薄味の関西と言われます。
濃い味の関東と対照的に話題にされるところです。
私は関東の真っ黒だしのうどんは苦手です。
しかし、そばは真っ黒だしが合っていると思います。
関東の方はキッコーマン醤油しか使わないとか
醤油とはキッコーマンしか存在しないと思っているとか
いろんな噂を聞いたりしますが本当なのですかね。
刺身には身体には悪いけど濃口醤油が合います。
つまらない醤油談義でした。
撮影地:岡山県作東町土居
とにかく美作町周辺では、この「東郷」看板を
いたるところで見かけます。
美作町にある酒造元東郷さんの看板です。
日露戦争でのバルチック艦隊に勝利を収めた
東郷平八郎を記念して命名されたそうです。
国民宿舎みまさか荘に宿泊しましたが
飲んだ酒は、たぶん「東郷」だったと思います。
少し辛口のさっぱりしたお酒だそうです。
ちなみに宮崎県には東郷町がありますが
そちらは若山牧水のふる里です。
撮影地:岡山県作東町土居
マルキン醤油は大阪証券取引所の上場会社です。
東京支店もあり、全国に販売されているようです。
小豆島には醤油の博物館として
マルキン記念館を設立されています。
また薬品事業への多角化のため
京都研究所も設立されています。
そんな大きな会社とは知りませんでした。
撮影地:岡山県作東町土居
こんな感じで「東郷」看板が美作町周辺では
いたるところで見かけます。
岡山県では九州のように、わた屋のでかい看板が
あまり見かけませんので
その中では比較的大型看板が集中している
珍しい光景と思って撮影しました。
児島湾に注ぐ吉井川の支流吉野川の流域になります。
「東郷」はその吉野川の水を使用されているそうです。
撮影地:岡山県美作町平田
日本を代表するビールメーカーが競争しています。
それにもまして、「酒類は現金」が何とも言えません。
津山市川崎は城東町並み保存地区の旧出雲街道に
つながる旧道にあります。
看板捜しが主体ですので観光に割く時間は僅かですが
この狭い旧道には津山洋学資料館や
古い商家の町並みを見ることができました。
狭い路地はところどころで故意に直角に曲がっており
城下町であることを証明しています。
撮影地:岡山県津山市川崎
津山市川崎の酒屋に貼られた看板です。
「吉井川」が地域性を出しています。
吉井川は津山市を東西に流れ岡山市児島湾に
注ぐ一級河川です。
ここにも、あの「酒類は現金」看板が貼られています。
美作は備前とともに関ヶ原での寝返りで有名な
小早川秀秋の所領でした。
その後、無嗣改易(乱心とも言われる)されると
森忠政が津山に入り津山城を築きました。
森家が五代で乱心除封のために途絶えた後
結城秀康の嫡流宗家である越前松平宣富が入りました。
その後幕末まで親藩として津山藩は存続しました。
撮影地:岡山県津山市川崎
「みんながほめる」のコピーがユニークです。
上の酒屋の二階に貼ってあります。
津山洋学資料館は大正時代に建てられた
和洋折衷の建物です。
津山は津山洋学の学統が確立するほど
たくさんの洋学者を輩出したところです。
中でも宇田川玄随とその弟子、宇田川玄真は
津山洋学の基礎を築いた洋学者です。
詳しくはこちらをご覧ください。
津山洋学資料館
撮影地:岡山県津山市川崎
「不易墨汁」の小さな看板です。
フエキのりやフエキ墨汁は小学生の時に
とてもお世話になった記憶があります。
大阪府八尾市に会社があるのですね。
看板は初めて見ました。
津山市川崎には小さな看板が捜せば
まだまだ残っているかもしれません。
城東の町並み保存地区に入りますと
やはり町並み保存の理由でしょうか
看板を見かけませんでした。
撮影地:岡山県津山市川崎
久世町の中心部国道181号線に面して
旧遷喬尋常小学校の大きな木造校舎があります。
古風でありながらモダンな白い建物は
見た者を惹きつける魅力を持っています。
現在は国重要文化財に指定され久世町の
シンボルとして保存されています。
さて、この「小野田セメント」看板は
いったいいつ頃製作されたのでしょうか。
新しくも見え古くも見える不思議な看板です。
小野田セメントは秩父セメントと平成6年に合併しました。
現在は太平洋セメントに社名が変わっています。
宇部興産とならぶ日本のセメント大手企業です。
撮影地:岡山県久世町
太平洋セメントのホームページによると
このポートランド・セメントは耐海水性のあるセメントで
製法特許を取得されています。
またセメント産業はごみ問題と密接な関係にあります。
大牟田市RDF発電所では焼却灰の再利用を
目指し検討するとしていますが
太平洋セメントではゼロエミッション構想として
ごみの焼却灰をセメント原料として使用する方法を
エコセメントとして実施されています。
またセメント会社ではRDFをセメント原料製造時に
必要な燃料の代替材として使用している話も
聞きます。
撮影地:岡山県久世町
新見市は鎌倉時代から戦国時代にかけては
京都の東寺の荘園で新見庄と呼ばれていたそうです。
江戸時代では津山藩主であった二代森長継の九男
関長治が初代の陣屋格の新見藩でした。
山間の静かな町並みで人口は2万人強です。
新見駅はJR姫新線の起点駅でもありますが
倉敷・米子を結ぶ伯備線の方が圧倒的に利用客が
多いと思います。
撮影地は姫新線岩山駅の近くです。
琺保委さんによると「超群」は広島県東城町の
生熊酒造が製造されているそうです。
新見市から西へ神郷町・哲西町そして広島県東城町
琺保委さんの言うとおり広島市より岡山・倉敷市方面が
近い消費地なんですね。
撮影地:岡山県新見市岩山
神郷町は新見市の西隣りにある町です。
現在では国道182号線が九の坂トンネルを通って
いますが、旧道は阿哲峡沿いの曲がりくねった
狭い道路でありました。
見えている踏切が旧道が通っていたところです。
この列車は芸備線の気動車です。
一両でちょこちょこ走っています。
備中神代駅は芸備線と伯備線の分岐駅です。
もっとも線路自体は新見駅から分かれているようです。
撮影地:岡山県神郷町神代
龍野の醤油「オオギイチ」看板が
岡山県西北山間部の神郷町に貼ってあります。
会社名は末広醤油さんだそうです。
龍野は淡口醤油の産地で中国地方では
わた屋の看板より酒か醤油の看板の方が多いようです。
龍野市は「揖保の糸」で有名なそうめんの産地でも
あります。
淡口醤油とそうめんは相性がいいのでしょうか。
九州ではそうめん用の、だし醤油が売られています。
撮影地:岡山県神郷町神代
神郷町神代踏切から見た芸備線備中神代駅方面です。
雑草の生い茂る線路が過疎路線を物語っています。
芸備線は備後落合駅で木次線と分岐し
塩町駅で福塩線と分岐し
三次駅で三江線と分岐する中国地方の
横断鉄道です。
芸備線についてのコメントとして
是非ともここをご覧ください。
平成13年8月の芸備線写真
確かに芸備線に沿った国道は立派なものです。
撮影地:岡山県神郷町神代
「ダルマ焼酎」は琺瑯委さんによれば
広島の中国醸造さんの有名な銘柄だそうです。
「みどり焼酎」は岡山県の酒造元牧野酒造本店さんの
焼酎のようです。
三光正宗は撮影地の哲西町に会社のある
文字通り三光正宗さんの清酒です。
ほんとうにお酒と醤油の看板が中国地方には多いです。
だるま仲間のダルマ焼酎さんには親近感を持ちます。
達磨 起きるを是非ともご覧ください。
撮影地:岡山県哲西町矢神
この看板は琺瑯委さんも撮影された
丸五シリーズの看板です。
同じ建物にアサヒ靴の小型看板もありましたが
それは琺保委さんのページでは別の場所での
写真が掲載してあります。
東城町は広島県北東部の山間部の町です。
西側には対照的な名前の西城町があります。
東城町中心街の古い町並みは
旅情を感じさせる良い雰囲気でしたが看板の収穫は
ありませんでした。
撮影地:広島県東城町小奴可
広島県と島根県県境の山間部は雄大な自然の残る
良いところですが、過疎問題も抱えているようです。
隣り町の西城町にはおそらく第三セクターであろう
鰍ミば西城まちづくり開発公社があります。
西城町で都会の人に田舎ぐらしを勧めることを
テーマにしておりホームページで実践者の紹介など
田舎ぐらしを受け入れる説明がされています。
定年退職後の第二の人生に過疎へ引っ越す方も
あるようで、そういった受け皿になっているのでしょう。
私も仕事さえあれば田舎ぐらしには魅力があるのですが
如何せん先立つものが無ければどうしようもない。
これが現実というものです。
撮影地:広島県東城町小奴可
庄原市は各勢力の荘園が点在していたことから
その名に由来があるそうです。
江の川の上流西城川が東西に流れていますが
市街地から西の三次市への平坦な盆地は
ちょうど熊本県の人吉盆地に似ており
霧がよく発生するそうです。
九州でおなじみのねんねこ看板の
東端かもと思い撮影しました。
隣りの三次市の歴史といえば
赤穂浅野内匠頭長矩の正室「阿久里」瑶泉院の父
浅野長治が治めた三次藩ですが
無嗣のため広島本藩の所領に戻ったそうです。
撮影地:広島県庄原市七塚
ある人から私の看板捜しを「ライフワーク」と
言っていましたが、なるほど、そのような言い方が
あるものだと感心しました。
ストレートに言えば、そんなことよくするねとか
本当に変わった趣味だねと言われてしまうのですが
私もその「ライフワーク」の言葉を機会があれば
使おうと思いました。
さて作木村は三次市から江の川下流に位置します。
撮影した場所の左手には
「門田老人集会所」なる建物があり驚きました。
もはや開き直った集会所なのでしょう。
若者は作木村門田地区にはいないのでしょうか。
撮影地:広島県作木村門田

ご意見ご感想はこちらまで postmaster@darmax.co.jp お願いいたします。