相良氏が遠江国より多良木に移った 初代頼景の菩提寺である青蓮寺の前にあります。 青蓮寺境内の阿弥陀堂は、頼景の孫の頼宗が 建立した鎌倉時代の建築物です。 お寺の雰囲気にマッチした風景です。 撮影地:熊本県多良木町青蓮寺 |
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川辺川ダム建設の当初の目的は 農業用水の確保でした。 ところが、実際に農家の側にとって水は 現在の灌漑用水で十分であるとの話だそうです。 そこで国は、お得意の災害対策の話を持ち上げて ダム事業を正当化しようとしています。 この手法は、諫早湾干拓事業と全く同じ方法です。 なんだかんだと非難を浴びながら のらりくらりと問題を先送りして 工事の既成事実だけを着々と築き上げて 最終的には事業を完成させる魂胆が見え見えです。 撮影地:熊本県多良木町名ノ木 |
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灯台もと暗しの例えのごとく会社のすぐ近くに 3号看板が残っていました。 やはり自動車を運転しながらの調査には 視覚の死点があることと、ここは調査済みだから 絶対に残っていないと思い込みをしていることから 意外な発見をするものです。 やはり旧道には看板が残っている可能性は まだまだ、あるようです。 このバスは荒尾市営バスの四山行きです。 2〜3時間に一本の運行の路線です。 近くの停留所の時間を調べて撮影しました。 これも近くであるからこそ出来る技といえます。 撮影地:熊本県荒尾市万田 |
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国道3号線の福岡県・熊本県の県境は 小栗峠で分かれています。 標高は少ししかありませんが、この峠から一気に 下りきったところが、この中津川辺りとなります。 大型トラックやバスが速度に乗って走っているところです。 このバスは西鉄の山鹿行きバスです。 また画像の進行方向に道の駅があります。 撮影地:熊本県鹿北町中津川 |
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菊池〜大津間の国道325号線の旧道です。 1号看板と4号看板が貼ってあります。 やはり、1号看板を発見しますと感動します。 しかも、ここの1号看板は今まで確認した中で もっとも良好な状態で残っています。 撮影地:熊本県大津町小林 |
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上の1号看板のある小林から少し大津町の中心へ 進んだ杉水にあります。 熊本県は、熊本市が注目されがちですが やはり、周辺は農業の盛んな県であります。 国道の旧道とはいえ、いきなりトラクターが 現れるところでもあるのです。 撮影地:熊本県大津町杉水 |
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3号看板が貼ってありますが 槙の木で隠れて見えにくくなっています。 ここは、県道玉名〜山鹿線の旧道ですが 典型的な旧道の様子が感じとれます。 看板を捜していくうちに、実は旧道マニアに なっていることに気がつきました。 そんなホームページがあればリンクをしたいものです。 撮影地:熊本県菊水町久米野 |
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阿蘇は北側が阿蘇谷、南側が南郷谷の カルデラ盆地が形成されています。 阿蘇谷は水田の広がる緑の盆地で 有名な大観峰から見ますと、緑の水田が 一面に広がっていて、とても鮮やかな眺めです。 撮影地:熊本県阿蘇町赤水 |
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熊本市薬園町にあります。 このバスは熊本電鉄のバスです。 熊本電鉄は以前は菊地市まで電車が走っていましたが 現在は西合志町までに短縮されています。 ここは、熊本電鉄バスの主要路線みたいで 次から次へとバスが走ってきます。 撮影地:熊本市薬園町 |
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ここは熊本県南関町になりますが、 数百メートル戻れば福岡県大牟田市四箇です。 四箇に昨年、道の駅が誕生しました。 敷地内には大牟田市の第三セクター’花ぷらす館’が つくられましたが、初年度の決算は赤字だったそうです。 花屋さん、土産屋さん、野菜屋さん、パン屋さん そして、食事のできるところともりだくさんの施設です。 近くに来られた折には寄ってみてはいかがでしょうか。 撮影地:熊本県南関町関外目 製綿業界他社の看板へ |
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セキアヒルズが出来てから、 この旧道が近道となっているために 狭い道にもかかわらず交通量が増えました。 休日になりますと、もっと交通量が増えます。 旧道は静かなのが魅力なので 少し残念な気持ちがします。 撮影地:熊本県南関町関外目 |
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天草上島の国道324号線の旧道の様子です。 天草は昭和41年に天草五橋が開通するまでは 九州本島とは、だんべ船で車両を渡していたそうです。 今でこそ三角町から本渡市までは1時間ちょっとで 行けますが、当時は、このような狭い道路で しかも舗装がされていなっかたわけですから 移動に時間がかかっただろうと思います。 看板は、琺瑯加工がされていないこともありますが 海岸沿いであるため、とりわけ錆びがきています。 撮影地:熊本県本渡市間伏 |
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人吉市街から宮崎県との県境の加久藤峠への 国道221号線の旧道になります。 加久藤峠はループ橋ができて、観光地にも なっていましたが、現在は高速道路が開通して 国道221号線を利用する車は激減しました。 この家屋は農家の倉庫になっています。 すぐ隣りに牛が飼われていました。 撮影地:熊本県人吉市赤池原 |
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山江村から人吉市の中心街に向かう途中の旧道です。 ここは鶴田町といいますが、おいしい餃子の店が 正面を進んだ右側にあります。 メニューは餃子しかありません。 人吉の方であれば、必ず知っておられると思います。 撮影地:熊本県人吉市鶴田町 |
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水上村湯山は温泉のあるところです。 また、湯山峠を越しますと、宮崎県椎葉村になります。 その宮崎県との県境に市房山があります。 山体の大きな山で標高が1721mあります。 なお、画像正面の山は市房山ではありません。 撮影地:熊本県水上村湯山 |
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水上村は球磨川の源流のある村です。 今、問題に取り上げられている川辺川ダムは 泉村、五木村を流れて人吉市で合流する 川辺川に建設中の巨大ダムです。 水上村にも既に完成した市房ダムがありますが 球磨川源流はその市房ダムに流れ込んでいます。 市房ダムの下流ではダム完成後、水質が変わり 川魚が少なくなったと言われています。 そのため、川辺川ダム建設問題については 地元の球磨郡だけでなく球磨川が流れ込む 八代海の漁協も巻き込んで議論が分かれています。 撮影地:熊本県水上村上楠 |
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湯前町の国道219号線の旧道の様子です。 球磨川は日本三大急流に数えられているように 人吉市から河口近くの坂本村の間は山を縫うように 川が流れてる典型的な先行性河川です。 それとは対照的に人吉市からここの湯前町の間は 典型的な盆地が広がっています。 撮影した5月中旬でも気温は30度を越えて とても暑い日でした。真夏の頃はさぞかし 気温が上がり、暑くなるのでしょう。 撮影地:熊本県湯前町中里 |
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県道長洲〜玉名線の様子です。 長洲港からは有明海を横断する有明フェリーが 長崎県国見町の多比良港まで就航しています。 有明海は南北に長い内海であるため 熊本県の県北から長崎市への最短ルートが この有明フェリーになります。 撮影地:熊本県長洲町清源寺 |
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株式会社ダルマックス生産営業本部のある 荒尾市では唯一現存するだるまわた看板です。 ちょうど、JR鹿児島本線と並行しているところでも あります。 撮影地:熊本県荒尾市牛水 |
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鹿本町商店街の入り口の様子です。 木の葉で隠れて見えませんが、カクイわた看板の 右側にだるまわた4号看板があります。 鹿本町は全国でも有数の渋うちわの産地です。 今では団扇といいますと、プラスチックの骨組みの うちわがほとんどですが、昔ながらの渋うちわは とても風流です。本来は夏祭りなどには 渋うちわの方が様になると思います。 撮影地:熊本県鹿本町来民 製綿業界他社の看板へ |
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宇土市から三角町への国道57号線は 有明海の南岸沿いを通っています。 あさり貝やわけ(イソギンチャク)料理を 食べさせてくれる店があちらこちらにあります。 三角町から1号橋を渡ると天草の大矢野島です。 天草は熊本のリゾートで日祭日になると この国道57号線はよく渋滞します。 撮影地:熊本県宇土市網田 |
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玉名市伊倉の旧道です。 木に隠れて半分しか見えませんが 熊本県での1号確認の確認は今のところ この伊倉と大津町小林の2枚です。 撮影地:熊本県玉名市伊倉 |
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産山村は阿蘇山と九重山の中間にある 山間部の村です。 阿蘇外輪山の斜面では、いたるところに 湧水地がありますが 産山村には池山水源があり 村の貴重な観光資源になっています。 撮影地:熊本県産山村車橋 |
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砥用町から矢部町にかけては石橋群が 観光の目玉になっています。 中でも矢部町の通潤橋と砥用町の霊台橋が とくに観光のスポットになっています。 通潤橋は渡ることができるのですが 転落事故があったのでしょうか 転落防止用の網が張ってあり、せっかくの 景観が台無しになっています。 撮影地:熊本県砥用町勢井 製綿業界他社の看板へ |
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看板に並んで政党ポスターが 貼ってあります。 普通、政党ポスターは政党専用の掲示板に 貼ってあるのが一般的ですが ここでは看板のようにポスターが並んでいます。 撮影地:熊本県矢部町白小野 製綿業界他社の看板へ |
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昔の家並みを残しています。 このような曲がりくねった道が主要道であった 当時は移動にさぞかし時間がかかって いたのだろうと実感します。 撮影地:熊本市河内町白浜 |
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山鹿市津留の国道3号線です。 近くにはツツジの名所である日輪寺があります。 花の見頃はとてもきれいです。 撮影地:熊本県山鹿市津留 名所の花へ |
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城北高校から玉名方面へ下る坂の右側に あります。 屋根瓦は替えられていますが 看板を残していただいています。 撮影地:熊本県山鹿市志々岐 |
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高森峠は熊本市から宮崎県延岡市への 最短路になりますが 道路状況は矢部町経由の国道218号線の 方が良いようです。 また、国鉄時代に現在の南阿蘇鉄道高森駅と 現在の高千穂鉄道高千穂駅とを結ぶ計画が あり、トンネルや高架橋が残っています。 高森町には、そのトンネル跡に湧水公園が 造られていて、新しい観光地になっています。 撮影地:熊本県高森町高森峠 |
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阿蘇根子岳の西峰がのぞいています。 東峰は危険ではありませんが 西峰は岩場が多く、登山の上級コースに なります。 撮影地:熊本県高森町高森峠 |
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日奈久は温泉と竹輪が名物です。 また八代市一帯は晩白柚の産地です。 晩白柚は大変大きなザボンの一種で 大人の頭の大きさくらいにもなります。 手前に写っているのは、晩白柚ではありません。 撮影地:熊本県八代市日奈久 |
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看板を捜していくのに必要なことは、 掲出した当時の状態が残っている旧道を 求めて走るため地理に詳しいこと。 後ろの車にせかされても平気であること。 結構わき見運転をしても事故を起こさない 慎重かつ安全な運転をすること。 あぜ道や畑、田の中にも入っても安全な 格好をして出かけることなどが 挙げられます。 撮影地:熊本市河内町 |
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熊本市は東部と南部の郊外に市街地が 広がっていっています。 飽託郡の合併もあり、人口は60万を 超えています。 看板を捜すには、昔からの町並みが残る 中心街の方が、むしろ可能性が高くなります。 青色のバスは九州産交バスです。 撮影地:熊本市黒髪 |
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旧国道57号線は大津街道とも呼ばれています。 さらに参勤交代の江戸時代では 清正公道の名で呼ばれていました。 現在もJR三里木駅など地名にも残っているように 杉並木がJR豊肥線沿いに残っています。 また、阿蘇山の外輪山を越える二重の峠には 江戸時代の石畳が残っています。 ’カクイわた’の’イ’のみが残っていますね。 撮影地:熊本県大津町大津 製綿業界他社の看板へ |
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JR木葉駅の一駅隣りはJR田原坂駅です。 田原坂は西南戦争の激戦地で有名ですね。 国道208号線が菊池川と交差する辺りを 高瀬(玉名市)といいますが、加藤清正が 高瀬の堰を建設したと伝えられています。 撮影地:熊本県玉東町稲佐 |
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南関町の中心地は大牟田市に流れる関川 の流域ですが、撮影地の坂下は分水嶺を超えて 菊池川の流域になります。 それで坂下の地名がついていると 私は勝手に信じています。 といいましても大変のどかな田舎です。 撮影地:熊本県南関町坂下 |
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八代市の国道3号線の様子です。 八代市の日奈久近辺は昔からの家屋がたくさん 残っているところで、看板を掲出した家屋が いたるところで見られます。 この撮影地の興善寺は日奈久とは反対の 八代市の北部になりますが、この近辺でも 昔からの家屋がまだまだ残っています。 撮影地:熊本県八代市興善寺 製綿業界他社の看板へ |
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