佐賀県での調査は、かなり進んでいます。それでも現存する看板は、この程度しか残っていません。
今年の2月に確認した多久市の3号看板のある家が、現在は壊されて跡形も残っていませんでした。
このように、家の建て替えや壁板の張り替え、家そのものの撤去などの理由により、さらに新たな確認が難しくなるでしょう。
なお、鳥栖市から佐賀市にかけては、おおまぐろさんの情報により調査が進みました。

特殊看板

三田川町にある特殊看板が鹿島市音成にもあります。
鹿島市七浦駅近く、音成川沿いの風景です。
走っている電車は鳥栖行きのようです。
鹿島市七浦には、道の駅鹿島があり
有明海を展望できる景勝地になっています。
そこでは、毎年「ガタリンピック」が開催されています。
有明海の佐賀県側は、見事な干潟があり
有明海特有の生物の宝庫となっています。
諫早湾も見事な干潟が形成されていたのに
時代遅れの干拓事業に走らずに
干潟を観光資源に有効利用すればよかったのにと
多くの人が思っているにちがいありません。
撮影地:佐賀県鹿島市音成
4号看板
久留米市と佐賀市を結ぶ国道264号線にあります。
右下には大判ねんねこ看板が見えています。
三根町は筑後川に沿っています。
この近辺の地図を見ると、いつも不思議に思うのが
福岡県と佐賀県との県境が筑後川と一致していない
ところが、あちらこちらにあることです。
これは大きな河川の特徴である蛇行を繰り返すことが
原因の旧河川を県境としているところがあるからです。
三根町の中心街の江見地区から小さな橋を渡ると
福岡県城島町芦塚地区になります。
現在はいたるところに橋が架けられていますが
その昔は渡船しかなかったでしょうから
さぞかし不便であったことでしょう。
撮影地:佐賀県三根町江見
4号看板

佐賀市の近郊中牟田地区にある農家の納戸に
貼ってあります。
母屋は、画像からは分りにくいかもしれませんが
佐賀県でよく見られるクド造りの農家です。
佐賀市は外海から遠く内陸部になりますので
夏は気温が高くなり、とても暑いところです。
また、神埼町に住んでいる人から聞いた話ですが
佐賀市から神埼郡あたりにかけての住民は
山は北にあり、川は南に流れていくものだと
思っている方がおられるそうです。
少なくとも、佐賀市・神埼郡周辺では、その通りです。
撮影地:佐賀市中牟田
4号看板

玄海町松尾(上有浦)にあります。
立派な農家の納戸に貼ってあります。
石垣も立派な造りをしています。
まるで熊本城の武者返しを彷彿させるような石垣です。
撮影地:佐賀県玄海町松尾
4号看板

玄海町柚ノ木にあります。
こちらも、立派な農家の建物です。
下が納戸、上が居住になっています。
ここは、唐津市から玄海町へ通じる
主要道路だったのでしょう。
合計4ヶ所で、だるまわた看板を確認しました。
撮影地:佐賀県玄海町柚ノ木
4号看板
3号看板


上の建物の隣りにある建物に貼ってあります。
カクイわたさんの大判ねんねこ看板もあります。
佐賀県の唐津市周辺で確認した大判ねんねこ看板は
琺瑯加工がされています。
玄海町は玄海原子力発電所のある町です。
市町村合併問題が議論される場合に
必ず市町村の財源を取り上げられますが
既得権益を強く主張するのは、時代遅れだと思います。
4号看板
3号看板


この角度ですと、隣りの建物との位置関係が
はっきりと分かります。
つまり、二つの建物によって
両方向から看板が見えるようにしてあるのです。
子供が小さく写っていますが
おもちゃの天使の羽根を着けて遊んでいました。
私は天使綿の看板を捜しているのですが・・・
撮影地:佐賀県玄海町柚ノ木
武雄銘菓美人豆

美人豆は佐賀県武雄市の銘菓です。
美人豆看板は、銘菓版と肥前銘菓版と
この武雄銘菓版と地元に近づくにしたがって
名称が変わっているようです。
銘菓版と肥前銘菓版に比べて
一回り小さいサイズになっています。
撮影地:佐賀県武雄市桜町
相知町のねんねこ看板

佐賀県相知町のJR唐津線山本駅〜本牟田部駅間に
カクイわたさんの大判ねんねこ看板があります。
ここの看板は畠山様からの投稿によりました。
線路が複線のようになっていますが
1本は唐津線、1本は筑肥線になります。
またここは国道203号線からも見えます。
撮影地:佐賀県相知町牟田部
4号看板
3号看板


西有田町原明の国道35号線にあります。
昔ながらの民家に貼ってあります。
佐賀県にはコの字型をした農家を見かけます。
クド造りと呼ばれる民家です。
この家は、それではありませんが
同じ佐賀県ですので、紹介してみました。
西有田町は陶器で有名な有田町の西隣りです。
この原明からは、有田ポーセリングパークの
大きな建物が見えます。
特殊看板

三田川町のJR吉野ヶ里駅近くにあります。
3号看板と同じく縦0.45m横1.8mのトタン板に
だるまわたの文字に加え、だるまさんの絵と
天下一品のタイトルが描かれています。
ここの看板は、’おおまぐろ’さんからの
情報によりました。
看板掲出の際に提出した資料には
この種の看板の形式が書かれていないことから
初期のころの看板であると推測します。
おそらく昭和30年ころではないかと思われます。
リンク集
特殊看板

’おおまぐろ’さんのホームページでも紹介してある
JR吉野ヶ里駅近くの農家の納戸に掲出してあります。
佐賀は葉隠精神の発祥地であります。
三島由紀夫の著作に葉隠入門があります。
日本古来の武士道の基本であるそうです。
撮影地:佐賀県三田川町吉田
3号看板

佐賀市中牟田の国道34号線の旧道にあります。
ここも、’おおまぐろ’さんの情報によりました。
3号看板が2枚貼ってありますが
おそらくナショナルと外科病院の看板が貼ってある
ところに、4号看板が貼ってあったと思います。
何かの理由で欠落してしまい
後年、新たに3号看板を上に貼ったと推測します。
リンク集
中原町のおたふくさん

中原町の国道34号線の旧道(長崎街道)の風景です。
江戸時代には、佐賀鍋島の殿様が参勤交代で
この道を往来されたのでしょう。
昔ながらの風景が残る、長閑なところです。
撮影地:佐賀県中原町中原
製綿業界他社の看板
芦刈町のふくろくさん

佐賀県では戦後も綿花の栽培が行われていました。
現在も栽培されているのか不明ですが
栽培した綿花を使用して、ふとんわたを製造する
お店が数件あったそうです。
ふくろくさんの長い頭は、とても印象に残ります。
撮影地:佐賀県芦刈町三王崎
製綿業界他社の看板
大町町のふくろくさん

長崎街道は国道34号線に沿って残っています。
武雄市から嬉野町までの間は国道34号線から
離れて塩田町を通っていました。
ここの狭い地元の道は国道34号線から
少し離れたところになりますが
おたふくさんを始め主要な看板が国道沿いに
貼ってあるのが残っていることから考えると
この大町の長崎街道は国道ではなかったと思われます。
この付近から大町の商店街に入ります。
4号看板
3号看板

塩田町久間の国道498号線にあります。
塩田町の国道498号線は昔からの家並みが
今でも残っているところです。
塩田町中心街では町並み保存がされており
ちょっとした観光スポットになっています。
4号看板
3号看板

塩田町久間の家並みです。
長崎街道が通っていたところでもあります。
江戸時代の西九州の幹線道路です。
撮影地:佐賀県塩田町久間
筑肥線肥前長野駅の看板

筑肥線は福岡市地下鉄と相互乗り入れする
博多〜西唐津間と、非電化区間の
唐津〜伊万里間に分かれます。
伊万里からは、さらに第三セクターの
松浦鉄道が佐世保と有田へ伸びています。
肥前長野駅横に看板屋敷があります。
この建物の壁板の大部分が張り替えてあります。
きっと、そこにだるまわた看板があったはずです。
撮影地:佐賀県伊万里市長野
4号看板

伊万里市松浦町宿分の国道498号線にあります。
伊万里市は面積の大きい市で周辺町村を合併して
現在に至っていると思われます。
伊万里市松浦町は唐津市に流れる松浦川の
上流に広がる盆地にあります。
松浦川中流の相知町佐里付近では山が迫っており
いわゆる先行性河川の地形にあたります。
4号看板

手前に玉葱が植えてあります。
辺りは水田が広がっている、長閑な田園風景が
広がっています。
撮影地:佐賀県伊万里市松浦町宿分
4号看板
3号看板

武雄市永島の県道沿いにあります。
農家の倉庫のようです。
5月は小麦の収穫期で農家は忙しそうです。
収穫が終わりますと刈り取ったあとの小麦を燃やして
田植えの前の肥料にします。
佐賀平野と筑後平野では、ほとんどいっせいに
燃やしますので煙があちこちで立ち昇り
本当にけむくなります。
4号看板
3号看板

ちなみに、ここの看板は’壁からのメッセージ’の
看板屋敷佐賀県のと同じです。
美人豆看板には武雄銘菓版と肥前銘菓版と
ただの銘菓版の3種類があります。
かなり精力的に掲出されていたみたいで
佐賀県を始め九州の各地に現存しています。
撮影地:佐賀県武雄市永島
3号看板

多久市古賀山の国道203号線にあります。
多久市の国道203号線は
現在、バイパスがほぼ完成しており
多久市街の道路は国道ナンバーが
もうじき、なくなるでしょう。
撮影地の古賀山はその旧道にあります。
看板を捜していくには
もちろん、バイパスを走っていては
絶対に見つかりません。
3号看板

多久市には孔子を祀る多久聖廟があります。
国内には足利学校・閑谷学校と多久聖廟の
3ヶ所に孔子廟があります。
撮影地:佐賀県多久市古賀山
3号看板

多久市渋木の国道203号線にあります。
国道203号線は佐賀市から唐津市へ
行くための主要道路です。
ここの看板は看板捜しを始める前にも
見た記憶がありました。
道路の反対側の家にも犬を飼っておられ
犬に吠えられながらの撮影になりました。
3号看板

太良町多良の旧国道207号線にあります。
ほとんど色落ちしているため
かすかに、だるまわたの文字が確認できます。
太良町はワタリガニの竹崎カニが捕れるところです。
ワタリガニは有明海のいたるところで捕れますが
太良町の竹崎温泉の周辺で捕れる竹崎カニは
とくに美味で差別化されています。
タラバガニや毛ガニとは違う身の締まった食感です。
3号看板

太良町の旧国道207号線にあります。
上の画像の看板を道路から見た風景です。
旧道は地元の人しか利用しませんので
のんびりした雰囲気がとてもいいです。
撮影地:佐賀県太良町多良
1号看板

呼子町愛宕にあります。
呼子はイカで有名な漁港の町です。
日曜日の朝市には、たくさんの観光客が訪れます。
ここは佐賀県で初めて確認の1号看板になります。
白地の部分が完全に錆びています。
海岸沿いの看板の宿命としては
潮風の影響を受けて、錆びやすくなることです。
今では名護屋大橋があるので、隣の鎮西町の
波戸岬方面へは別ルートの国道204号線を利用する
車がほとんどですが、この道が当時の幹線道路です。
4号看板

唐津市唐房にあります。
現在の国道204号線は、唐房からは海岸沿いを
通っていますが、こちらの山沿いの道路が
当時の呼子や玄海町方面の幹線道路だったのでしょう。
錆びが、かなり進行しています。
唐津市と呼子町は、佐賀県北部の主要な観光地です。
呼子町には、イカの活き造りを食べさせてくれる店が
競争して並んでいます。
私がよく行くお店はイカ**です。
最後に天ぷらにして食べる人が多いのですが
私は塩焼きにしてもらいます。
3号看板

唐津市枝去木にあります。
これはもはや、看板を壁板代わりに使われています。
大判ねんねこ看板が左右反対に使われているのが
証拠になります。
唐津市は面積の大きな市です。
江戸時代でも唐津藩は実高20万石ともいわれた
譜代大名が支配した地域です。
のちの老中水野忠邦が幕政に参画するために
敢えて裕福な唐津藩からの転封を希望したそうです。
3号看板
4号看板


伊万里市木須町の国道204号線にあります。
4号看板の上に伊万里の市会議員の看板でしょうか
お行儀悪く重ねて貼ってあります。
3号看板の上にも真っ白になっていますが
消費者金融の看板が、お行儀悪く貼ってあります。
とてもかわいそうなだるまわた看板です。
4号看板
3号看板

武雄市鳴瀬の国道498号線の旧道にあります。
佐賀県には、かわいそうなだるまわた看板があるものです。
しかも倉庫らしき建物がぼろぼろになっており
取り壊されるのも時間の問題だと思います。
4号看板

鳥栖市高田町の国道3号線にあります。
さらに悲惨なだるまわた看板です。
だるまさんの絵の部分が完全に上から
看板が貼られてしまい文字の部分が
見えるだけになっています。
さらに葉で覆われて、交通量の多い国道3号線で
よくもまあ、見つけたものだと自分でも
感心してしまいます。
福岡県では完全に錆びくれて、とても見せられない
だるまわた4号看板が3枚あります。
(福岡県編には掲載していません)
しかし、それも事実ということで、悲惨シリーズとでもして
掲載してみましょうか?

今後の予定
唐津市・東松浦郡の調査をします。

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