だるまわた看板は、山口県にも掲出の記録があります。
今回は東部の岩国市からJR山陽本線沿線を中心に調査しました。
これで大まかに山口県の調査は、ひととおり終わったところです。
なにしろ山口県の調査は前日から車を走らせて、ほぼ24時間運転もしくは仮眠ですので体力の要るところ。
(高速道路を使用すればいいのに看板探しには高速は無用だと勝手に思っている)
したがって綿密な計画を立てて行かないと坊主になったら悲惨な目に会うことになるのです。
細部の調査は、まだまだ残っていますが、次回の調査は、しばらく計画を立ててからにします。
その前に、いよいよ広島県の調査に突入します。呉市近郊にだるまわた看板は残っていませんかね。

1号看板

山陽町厚狭から美祢市厚保方面へ行く途中にあります。
山陽町役場のホームページに
なんとレトロマニア向けのコーナーがあります。
昭和30年代を中心にした当時の山陽町の
白黒写真を見ることができます。
しかも、その中の昭和39年6月27日豪雨の中に
水に浸かった看板屋敷が写っています。
だるまわた看板とカクイさんの大判ねんねこ看板
クラブわたさんの看板など見ることができます。
是非ともご覧ください。
http://www.sanyo-yamaguchi.jp/pht/idx.htm

撮影地:山口県山陽町平原
4号看板

JR山陽本線清末踏み切りにあります。
下関市清末は長府藩の支藩にあたる清末藩の
あったところです。
長府藩は関ヶ原で凋落した毛利輝元の嫡子秀就が
誕生するまで養子として嫡子する予定であった
毛利秀元の所領でした。
辺りは田園風景です。陣屋格の清末藩でしたので
下関市清末を調べるにあたって初めて知りました。
長府の武家屋敷跡は下関市の観光地として整備され
有名ですが、こちらの清末藩は今でも長閑です。
撮影地:山口県下関市清末
1号看板
JR山陽本線埴生〜小月間から見える看板です。
走っている車窓から、だるまわた看板と判明できるのは
もはや私だけだと確信してしまいます。
近くに寄っても、この程度ですから、なおさらです。
夜間を広島方面へ車を運転すると
下関市長府から小月バイパスが始まるあたりから
トラックの暴走運転が始まります。
暴走トラックが近づいてきたら
やり過ごすのが賢明です。
トラックに前後に挟まれるのだけは避けましょう。
それにしてもトラックの排気ガスだけは
何とかならないものでしょうか。
地球温暖化と大気汚染の大きな原因になっています。
撮影地:山口県下関市松屋
1号看板

毛利輝元が関ヶ原(輝元自身は大阪城まで進軍)を
境にして凋落し、山陽・山陰の大大名から
長州・周防の地方大名に転落してからというもの
山口県の隅々まで開墾し、産業を育成し
幕末には100万石相当にまで発展したそうです。
人材も広く育成し有名な人物を輩出しました。
この小月周辺の平野部は、その当時からの
穀倉地帯であったと思われます。
撮影地:山口県下関市松屋
湯田温泉

カクイさんの文字看板は山口県のいたるところで
遭遇します。大判ねんねこ看板もよく見かけます。
掲出の前後は後になるのですが
山口湯田温泉の看板が地域性を出しています。
山口市四辻にある大判ねんねこ看板の隣りにも
同じく山口湯田温泉の看板があります。
仲良しさん同志といったところでしょう。
撮影地:山口市嘉川
湯田温泉

JR山陽本線嘉川駅付近では線路沿いに旧道が
残っていますが、レトロ看板はほとんどありません。
国道2号線の旧道は、いったいどこを
通っていたのでしょうか。
看板捜しの基本として、当時の幹線で現在も残る
旧道と当時の国鉄沿線を調査することです。
それを地図を眺めながら推察して計画を立てるのです。
やみくもに車を走らせて調査しても、そうは簡単には
発見できません。計画が大事です。
しかし実際に行ってみて、ありそうな雰囲気でない場合は
柔軟に計画を変更し、辺りをうかがいながら調査を
進めていくことも必要になってきます。
撮影地:山口市嘉川
多木肥料

多木肥料さんの看板はJR駅付近の倉庫で
よく見かけます。しかし、ほとんどがモルタルの
倉庫で木造の板壁倉庫となると
そう多くは残っていないと思われます。
ここの嘉川の倉庫は一年前に確認していましたが
隣りにあった一年前にまだ使用されていた
木造の倉庫が解体されて空き地になっています。
本当は解体された木造倉庫に貼ってあった
縦文字看板も撮影したかったのですが
たった一年の間だけでも建物の更新は進んでいます。
撮影地:山口市嘉川
月印毛布

ローズふとんといえば京都西川さん。
ふとんのメーカーとしてナショナルブランドの西川は
東京が本社の西川産業(略して産業と呼ばれる)と
大阪が本社の大阪西川(略して大西と呼ばれる)と
京都が本社の京都西川(略して京西と呼ばれる)の
3社から成っています。
その中の京西さんの月印毛布です。
「ローズふとん」看板は全国どこでも見られます。
「月印毛布」看板は、少ないと思います。
業界情報でした。
撮影地:山口県防府市富海
月印毛布

防府市富海は山口県南部の海水浴場として有名です。
遠浅の砂浜は家族向けの海水浴に適しているそうです。
撮影した日は、とても暑い日でしたので
海水浴客で砂浜は賑わっていました。
また、富海は山陽道の宿場町でもあったそうで
落ち着いた家並みに風情があります。
山口県南部には他に厚狭や船木などの
山陽道の宿場町であった古い家並みが
今でも当時の雰囲気を残しており
旅情を感じさせるところでもあります。
撮影地:山口県防府市富海
ツバメ号自転車

自転車の看板は種類が多くあるようです。
詳しくは他の看板マニアのページに譲るとして
自転車は、よく言われるように環境にとても優しく
もっと注目されてもいいと思います。
オートバイにおいては既にスクーターにいたるまで
4サイクルエンジンでなければ製造できなくなりました。
自動車においてはターボ車は規制基準に対して
技術が追いついていないため新しいターボ車が
しばらく発売されなくなるとも言われています。
ディーゼルエンジンは、もっと規制を厳しくしてほしい
ところなのですが、トラック業界の圧力で
なかなか変えられない状況なのでしょうか。
撮影地:山口県防府市富海
カクイチタイヤー

耐久無比とタイヤーが面白く感じます。
おおまぐろさんは自転車で看板捜しをされていますが
通勤も自転車を使用されているそうです。
私も天気の良い日は自転車で通勤をしています。
三池炭鉱に使用された三池鉄道線路跡地が
自転車道に整備されているところを走りますので
自動車の排気ガスを吸わずに済むので快適です。
山口県にも小郡から秋芳町秋吉あたりまで
鉄道が走っていたようで美祢市於福の看板には
秋吉駅通りの地名も確認できます。
小郡からの県道沿いには線路跡に自転車道が
整備されているのが確認できます。
撮影地:山口県防府市富海
SMC缶詰

缶詰の看板で、いつごろの製作か分りませんが
琺瑯加工が施されたレトロを感じさせる看板です。
色彩が鮮やかで、おいしさを醸し出しています。
他の看板マニアのページでも紹介されています。
撮影地:山口市四辻
SMC缶詰

山口市四辻には明治維新で活躍した
大村益次郎を祀る大村神社があります。
大村益次郎は秋穂の出身で村田蔵六の名前から
長州藩に招聘されて武士の身分になった際に
名前を大村益次郎と改名したそうです。
戊辰戦争では戦略家として活躍しましたが
同じ長州藩の武士から疎まれ京都で暗殺されています。
山口県には、とくに幕末から明治維新にかけての
歴史に登場する人物に関する観光地が
いたるところにあります。
撮影地:山口市四辻
富士ヨット学生服の置き看板

レトロの置き看板は珍しいものとなりました。
だるまわたも置き看板を製作していたそうです。
置き看板といえば
不二家のペコちゃんを思い出しますが
象さんの佐藤製薬のサトちゃんも有名ですよね。
しかし珍しいからといって黙って持っていったら
しっかりとした犯罪ですから気をつけましょう。
お店の販促物であり備品や什器の種類になります。
撮影地:山口県大畠町瀬戸
藤生のおたふくさん

岩国市藤生は岩国市の南部に位置しています。
JR藤生駅付近で山陽綿業さんの「クラブわた」看板を
車窓から見たのですが、結局どこにあるのか
わからず撮影できませんでした。
狭い旧道が町の中を縦断しており
大村昆のオロナミンC看板など残っています。
撮影地:山口県岩国市藤生
藤生の看板

このオジサンは猿を散歩させています。
猿師なのでしょうか。
画像に写っている川で猿を遊ばせていました。
遊園地や動物園での、お猿のショーは
見たことは何度かありますが
いきなり、お猿の散歩に遭遇するのは
初めての経験でした。
岩国市藤生では有名なオジサンかもしれません。
撮影地:山口県岩国市藤生
澤鶴

山口県玖珂町と周東町は同じ町かと
間違ってしまうほど、集落が続いています。
この澤鶴さんは周東町の中心街の高森から
光方面へ進んだところにあります。
琺保委さんの「壁からのメッセージ」によりますと
田中酒造場さんが会社名で灘の「澤の鶴」とは
別物であるそうです。
琺保委さんも、この看板を撮影されたのかな?
撮影地:山口県周東町高森
厚東の看板

こちらの看板も琺保委さんの「壁からのメッセージ」で
紹介してある看板屋敷です。
日光の角度の関係から、この角度の撮影にしました。
JR山陽本線の車窓から見える有名な看板屋敷です。
厚東は「ことう」と読みますが、山陽町厚狭「あさ」や
美祢市厚保「あつ」のように「あ」と読まず
音読みをする地名もあるのですね。
宇部市といえば常盤公園のペリカン「カッタ君」。
今も元気にしているのでしょうか。
撮影地:山口県宇部市厚東
4号看板

湯本温泉から長門市中心部へ
JR美祢線に沿うように国道316号線の旧道が
通っています。
この旧道では、わた屋の看板を3ヶ所で確認しました。
この桜並木は小学校の校庭に植えてあるものです。
桜並木と看板は、はたしてどちらが歴史が
あるのでしょうか。ふと、そんなことを考えました。
撮影地:山口県長門市板持
4号看板

右側は、おたふくさんの看板です。
長門市は、日本海に突き出した青海島が
景勝地として有名です。
会社の旅行で青海島遊覧船に乗りましたが
当日は波が高く、船がよく揺れました。
前夜の飲み疲れもありまして、もう少しで
船酔いのところでした。
小さな船ですので、とにかく、よく揺れます。
それでもガイドさんは、平気でした。
撮影地:山口県長門市板持
長門市板持の看板(その1)

小学校の校庭へ上る階段から撮影しました。
長門市は、かまぼこの生産でも有名です。
九州でも仙崎かまぼこが、スーパーで
販売されています。
醤油とわさびで刺身のようにして食べるのに
最適のかまぼこの味で、よく買います。
撮影地:山口県長門市板持
長門市板持の看板(その2)

山口県は九州の植民地とも言われることがあります。
とくに山口県西部では、九州の企業の影響が
あるようです。
今回、山口県西部で確認した、わた屋の看板は
カクイさん・おたふくさん・だるまの3社でした。
本州のわた屋の看板に会えませんでした。
撮影地:山口県長門市板持
4号看板

国鉄時代に博多〜米子間を走っていた急行さんべは
長門〜下関間では山陰線経由と美祢線経由に
車両を切り離して分かれて走っていました。
これは、よくクイズ問題に出題されていました。
渋木駅から長い大ヶ峠トンネルを抜けますと
美祢市於福の開けた盆地になります。
撮影地:山口県長門市渋木
4号看板

この川は長門市中心部に流れる
深川川の上流になります。
とても澄み切った水が流れています。
この付近は至るところで蛍が見られるそうです。
普段、濁った川ばかり見慣れている私にとって
驚くような、きれいな水の川なのです。
撮影地:山口県長門市渋木
塩と煙草の小売所看板

塩と煙草の販売営業許可の看板です。
山口県の田舎の商店では、よく見かけます。
今でも、この看板の効力が存在しているのでしょう。
撮影地:山口県美祢市西厚保町
4号看板

美祢市は厚狭川の流域が、ほぼ市域と一致します。
比較的広い面積を持つ市ではありますが
人口は2万人を割っています。
人口密度の低い地域であるといえます。
見えている道路は県道小月美祢線の旧道です。
撮影地:山口県美祢市四郎ヶ原
4号看板

4号看板の下には、3号看板の形跡があります。
JR美祢線は厚狭川に沿うように敷設してあります。
それに対して、下関市から美祢市への主要道は
小月からの道路のようです。
ここの厚保は、それぞれが合流したところです。
撮影地:山口県美祢市厚保町
4号看板

だるまさんの特徴の一つに髭を見れば
その違いが分かります。
このだるまさんは、絵描き職人の下川さんの作品で
霞のような髭は、後期の作風に見られるものです。
撮影地:山口県美祢市厚保町
4号看板
3号看板

美祢市は石灰石の産地で有名です。
日本を代表するセメント会社が
美祢市の石灰石を使用していることからも
理解できるところです。
石灰石の採掘場にある大きな容器のような建物が
美祢市内では目立ちます。
日本最大のセメント会社のある宇部市間には
興産道路が通じており、大きな専用トラックが
走っているのが見られます。
撮影地:山口県美祢市大嶺町
東芝電動井戸ポンプ

美祢市の東隣りには、カルスト台地の秋吉台が
広がっています。
地下には、秋芳洞をはじめ侵食で出来た
多数の鍾乳洞があります。
つまり、このポンプの看板は、地下水が豊富な
地域であることを物語っているとも思います。
撮影地:山口県美祢市大嶺町
美祢のおたふくさん

おたふくさんの看板には、琺瑯加工がされていない
看板もあります。
山口県西部では、このタイプの看板を多く
見かけました。
なお、福岡県の筑豊地方でも多く見かけます。
まだ、この看板は絵の部分が残っていますので
掲載しましたが、ほぼ完全に色落ちしたのが
ほとんどですので、見つけるには
看板の形を目印にするといいでしょう。
撮影地:山口県美祢市重安
美祢のおたふくさん

時代の流れの中でレトロ看板が消滅していくのも
看板を捜していくうちに頷けるようになりました。
50年前の家屋で、看板の生命ともいえる
壁板が張り替えられることもなく
そのまま残っていない限り
確実に消えていく運命にあるのです。
撮影地:山口県美祢市重安
4号看板

ペプシの大きな看板が、ねんねこ看板とだるまの
上に貼ってあります。
美祢市・秋芳町などでペプシの大きな看板を
よく見かけます。
この付近はペプシの縄張りなのでしょうか。
撮影地の伊佐町は宇部興産の石灰石採石場の
工場があるところです。
大きな容器のような建物のある工場に
並ぶように、この旧道が通っています。
撮影地:山口県美祢市伊佐町
3号看板
4号看板


美祢市於福は美祢市北部の厚狭川上流に
広がる盆地です。
画像からは、その様子が全く解りませんが
実に長閑な田舎です。
看板捜しをしながら、田舎を探索するのも
大変楽しいものです。
皆さんも看板捜しを始めてみては
いかがでしょうか。
撮影地:山口県美祢市於福
不二わたさん・天使綿さん

山口県へ看板捜しに行く時に
あったらいいなと思う看板に
不二わた・天使綿さんの看板があります。
広島を本拠地にされていましたので
中国地方に行けば、どこかにあると思います。
あと、同じ広島の山陽綿業さんのクラブわた。
同じく広島の奥田綿業さんのぼたんわた。
それから出雲のやくもわたさんの看板も
どこかにあると思います。
なお、佐世保市の天使綿看板が誰かの手によって
剥ぎ取られていましたので、あえて撮影地を
公表しないことにします。
撮影地:山口県のどこか
萩市大井の看板

JR山陰線と国道191号線の旧道が交差する
踏み切り近くにあります。
現在は地方の道路状況が大変良くなっているので
鉄道の利便性が薄れてきています。
しかし、昭和30年代ころまでは
鉄道での移動の方が、はるかに便利であったと
思います。
とくに、この国道191号線の旧道を調査して
つくづく思い知らされました。
撮影地:山口県萩市大井
阿川のはごろもさん

JR山陰線阿川駅前にあります。
阿川駅の隣りには、特牛駅があります。
特牛は難読地名として有名です。
JRの駅は山間部にありますが
特牛の集落は海沿いにあります。
国道の案内標識によく出ているので
山口県西部の方ならば、誰でも知っているでしょう。
撮影地:山口県豊北町阿川
3号看板

山口市本由良のJR山陽本線沿線にあります。
隣り町の阿知須町では、山口きらら博が
開催されています。
山口市は広い面積をもっており、
おそらく、この本由良地区を合併したのでしょう。
現在、小郡町を取り巻くかたちで市境があります。
3号看板

山口県は福岡県の隣りになりますが
だるまわたの本拠地のあった大牟田市は
福岡県の最南端にあるため、福岡県を
縦断していかなければなりません。
今では、高速道路を利用すれば簡単に行けますが
当時は山口県への出張が、1週間以上
かかっていたといわれるのが実感できます。
撮影地:山口県山口市本由良
3号看板

小野田市後潟上の国道190号線沿いにあります。
山口県に行きますと、この色の瓦を、よく見かけます。
とくに山陰地方で多く見かけますが
この種の瓦が、融雪効果があるからだそうです。
なお、この看板は現在は壁板の張り替えのため
消滅してしまいました。
撮影地:小野田市後潟上
2号看板

防府市大道のJR山陽本線沿線にあります。
ここの看板は、’壁からのメッセージ’でも
紹介されています。
2号看板には、’ウイーンふとん’が書かれています。
製綿業からふとん製造へ乗り出した
昭和33年ころから5年間くらい、この2号看板を
製作したそうです。
だるまわた本社には、窓に貼られた2号看板が
残っています。(いつかお見せしましょうか)
2号看板

2号看板を掲出した記録は多くは残っていません。
やはり、トタン板1枚(1畳分)の大きさですので
どこにでも貼れるわけには、いかなかったからでしょう。
右側の看板は、’ほていわた’さんの看板です。
また、アースの看板は九州では見かけません。
金鳥の看板が、あまりにも沢山貼ってあるため
対抗しても、かなわないと諦めたからでしょうか。
しかし、アースといえば「由美かおる」と「水原弘」。
有名なアース看板があるのを忘れていました。

撮影地:山口県防府市大道
4号看板
3号看板


三隅町豊原の国道191号線の旧道にあります。
現在は県道になっています。
家の角に貼ってありますので
3号看板が折れ曲がった状態になっています。
4号看板
3号看板


だるまわた看板は、萩付近まで掲出したようです。
三隅町は長門市と萩市の中間にあります。
木造の家が比較的多く残ってはいますが
だるまわた看板に限らず看板そのものが少なく
ある意味で、さっぱりした風景の家並みです。
撮影地:山口県三隅町豊原
3号看板
4号看板


秋穂町大河内の周防灘海岸に沿った旧道にあります。
隣りの家にガレージが建てられて、横からしか
見えなくなっています。
’カクイわた’さんの大判ねんねこ看板も見えます。
大判ねんねこ看板は山口県では、いろんなところで
遭遇します。しかもほとんどが琺瑯看板です。
それに対して九州の大判ねんねこ看板は
福岡県では琺瑯加工されていないものがほとんど全部。
琺瑯加工されているものは、佐賀県で比較的多く
見かける程度です。掲出時期の違いが原因であると
思います。
1号看板(なれの果て)

これは、間違いなく1号看板なのですが
場所を変えられて
壁板代わりに使われています。
山口市本由良のJR山陽本線沿いにある家を調べて
みたところ、見つけました。
だるまわた看板は広島県呉市まで
掲出した記録が残っています。
そこが、東端になります。

今後の予定
未定

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