熊本県での確認数は、ついに福岡県を抜き最も多くなっています。
熊本県は熊本市の一極集中が顕著で周辺の市や郡では昔からの家屋がところどころ残っています。
とくに旧道が、そのまま残っている郡部に、看板が残っていることが多いです。
なお福岡県と熊本県で見られる、だるまわた看板以外の写真集として様々な看板をご用意しております。そちらもご覧ください。

4号看板
3号看板


相良頼景の菩提寺である青蓮寺の前にあります。
相良氏は上相良氏(多良木を本拠)と
下相良氏(人吉を本拠)との一族同士の争いが
あったにもかかわらず、外敵が攻めにくい
人吉盆地の地理的条件に助けられて
鎌倉時代から江戸時代までの実に700年にわたって
球磨地方を統治しました。
1号看板

大津町小林の国道325号線の旧道にあります。
色落ちが少なく良好に残っている1号看板を
初めて確認できました。
今まで確認した1号看板はトタン板を上下に
繋いでありますが
ここの1号看板は左右に繋いであります。
大きな体の割には、スマートな顔立ちをしています。
看板のある風景
1号看板

色落ちが少なく残っている理由には
直射日光が、当たりにくい場所であるからだと
思われます。
家屋の前には杉が植えてあり日光を遮断しています。
それにしても、だるまさんの衿みたいな突起物は
一体何なのでしょうか?
このページの壁紙でも分かるように
突起物が異様に感じてしまいます。
看板のある風景
4号看板

上の1号看板と同じ家屋に貼ってあります。
単純に4分の1の大きさになるのですが
顔のつくりが、こじんまりとしています。
それに1号看板のように面長ではありません。
看板のある風景
4号看板
3号看板


大津町杉水の国道325号線の旧道にあります。
現在の国道325号線の菊池〜大津間は
全く別のルートを通っています。
そのため、この旧道が、そっくりそのまま
当時の状態で残っています。
現在、看板を捜していくには、このような
旧道を探していくと看板を発見する確率が高くなります。
看板のある風景
3号看板

旭志村川辺の国道325号線の旧道にあります。
きれいに瓦を代えられた家屋ですが
残念ながら、ほとんど色落ちしています。
旭志村は大牟田リサイクル発電鰍フ
参加自治体になっています。
この国道325号線の旧道には
RDF化施設建設反対のメッセージがところどころ
掲げられています。
空気のきれいな旭志村が
ダイオキシンに汚染されるのを
住民が反対しているのです。
大牟田の問題
4号看板
3号看板


益城町津森の県道熊本〜西原線の旧道にあります。
益城町は、熊本市のベットタウンとして
開発が進んでいます。
そのため、熊本市への吸収合併が議論されています。
撮影地の津森地区は、益城町の中心地の木山から
離れているために、昔からの雰囲気の残るところです。
昨年、益城町を震源とする地震が頻発しましたが
今は、活動は休息中のようです。
3号看板

撮影した際に、この家のご主人が出てきて
私に看板が興味あるのかと質問されました。
以前に、ここの看板を譲ってくれないかと
言ってきた人が何人かいたそうで
私も、その類かと思われたのでしょう。
私の目的は撮影してホームページで紹介することと
説明すると、家の裏にも看板はあるよと言って
案内して見せてもらったのが、ほていわた看板でした。
さらに、貼ってある看板の中で貴重なのはないかと
質問され、いくらかで売ろうと考えられているようでした。
私はしっかりと、だるまわたの縦型看板は
珍しいですよと言っておきました。
3号看板

菊水町久米野の県道玉名山鹿線の旧道にあります。
この県道玉名山鹿線には合計3ヶ所に
だるまわた看板が残っています。
菊水町には古墳がたくさん残っています。
一番有名なのは、江田船山古墳です。
一帯は古墳公園になっています。
3号看板

菊水町久米野の県道玉名山鹿線の旧道にあります。
上の久米野の看板のすぐ近くにあります。
槙の木が繁って、3号看板を隠しています。
針葉樹ですから冬になって、見えやすくなるとは
言い切れませんが、近くですので
冬になってから、もう一度撮影してみましょう。
ちなみに、この建物の道路側には
由美かおると水原弘の楕円形看板があります。
看板のある風景
4号看板

阿蘇町赤水の国道57号線の旧道にあります。
北側の壁に貼ってあるため
良好な状態で残っています。
’日立電気ポンプ’は一文字ごと分かれている
貴重な看板ではないかと思われます。
文字が分かれていると、どうしても欠落が
発生しやすく、完全なかたちで残ることが
少ないようです。
天草上島には、’高砂わた’さんの一文字看板が
数ヶ所残っていますが、完全なものは1ヶ所だけです。
看板のある風景
製綿業界他社の看板
4号看板

南関町関外目にあります。
福岡県との県境にある旧道です。
南関インターチェンジへの新しい道路が出来てからは
地元しか利用しない旧道になっていましたが
3年前に商業施設のセキアヒルズが出来てからは
大牟田市からの近道(もっとすごい近道もある)に
利用する車が急激に増えて、何か場違いな
渋滞がしばしば起きたりしていました。
現在はセキアヒルズへの大きな道路が完成しましたので
それほど利用する車は少なくなりましたが
それでも、結構交通量はあります。
’光世’さんは大牟田市の仕出し屋さんです。
看板のある風景
4号看板

南関町関外目の旧道にあります。
蔓が繁って、看板を覆い隠そうとしています。
小さな’不二わた’の看板もあります。
看板を捜すには、葉の繁っていない冬が最適です。
夏はこのように、蔓植物が看板を隠すこともありますが
とくに、庭先に植えてある木の葉が、壁を隠す場合が
とても多くて、見過ごしてしまう場合があります。
看板のある風景
製綿業界他社の看板
4号看板

人吉市赤池原の国道221号線の旧道にあります。
赤池原のだるまさんは、少し錆びがきてはいますが
とても良い状態で残っています。
’一品’の文字とだるまさんの表情から
水上村上楠のと同じ時期の製作と思われます。
看板のある風景
4号看板

人吉市鶴田町の山江村への県道の旧道にあります。
近くの子供がおもしろがって、顔に白く塗ったかと
思ってしまいますが、色落ちのためにこのように
なっていると思われます。
しかし、眉毛が黒々としているのに
顎髭がなくなっているのは、とても不自然です。
誰かがあとで顔を塗り替えた可能性も
捨てきれません。
看板のある風景
3号看板

水上村湯山の国道388号線の旧道にあります。
湯山は温泉のあるところです。
また、市房山の登山口にもなります。
ここの看板は弊社運転手の情報によりました。
看板のある風景
4号看板

水上村上楠の国道388号線の旧道にあります。
水上村は文字とおり球磨川の源流がある
人吉盆地のもっとも奥にある林業の村です。
宮崎県椎葉村へ行く途中に見える白水滝の吊り橋は
山の斜面に取り付けられたとてもスリリングな
吊り橋です。よっぽどジェットコースターより
怖いと思います。
看板のある風景
4号看板

湯前町中里の国道219号線の旧道にあります。
掲出当時は塀がなかったと思われますが
この塀も歴史を感じさせる洒落た塀です。
看板のある風景
4号看板

免田町黒田の国道219号線の旧道にあります。
扉に看板を貼ってしまったのでしょうか。
それでも捨てずに置いてもらっているということは
今でもこの扉みたいな板は使うことがあるのでしょう。
4号看板
3号看板


長洲町の県道長洲〜玉名線にあります。
手前の畑は、この家の方の家庭菜園です。
優しそうなおばあさんが世話をしておられました。
長洲町は金魚の養殖が盛んなところです。
祭りには欠かせない金魚すくいの夏場のシーズンに
あわせて養殖がされているそうです。
看板のある風景
3号看板

荒尾市牛水の国道384号線にあります。
珍しい3号の縦文字看板です。
これは、どのように考えたらいいのでしょうか。
受けを狙って貼ったのか、それとも
琺瑯加工されていますので強度が強いということで
壁板代わりに使われてしまったのか。
いずれにしても、そのどちらかでしょう。
看板のある風景
4号看板

鹿本町の県道山鹿〜菊鹿線の旧道にあります。
鹿本町商店街の入り口にもなります。
木の葉が邪魔をして横からしか見えません。
冬になれば全体が見えるようになると思います。
鹿本町は渋団扇の産地でもあります。
看板のある風景
1号看板

玉名市伊倉の旧県道玉名〜熊本線にあります。
現在の県道玉名〜熊本線は、かなり前から
伊倉の町を外れるように通っています。
熊本県での1号看板確認第一号です。
しかし、実は私が高校生の時にバイクで走っていて
この伊倉のだるまさんを見た記憶が
今さらながら蘇ってきました。
なんとも情けないような気持ちになってしまいました。
しかし、今まで残っていたことは幸運といえましょう。
看板のある風景
1号看板

だるまさんのお腹が錆びてしまっています。
右側の木の葉が繁って文字が隠れています。
冬になれば、全体が見える状態になるはずです。
大牟田市で確認している1号看板に比べ
ふとった顔つきで、ひょうきんな感じがします。
4号看板
3号看板

阿蘇郡産山村の県道小国〜久住線にあります。
郵便ポストと木材で隠れてしまいましたが
車庫のような屋根が作られたおかげで
3号看板では最も色落ちが少ない状態で残っています。
下の網田の3号看板と比べるとよく解ります。
看板のある風景
3号看板

宇土市網田の国道57号線にあります。
網田付近は有明海のきれいな干潟のあるところで
網田から見た夕日が雲仙普賢岳付近に沈む写真を
よく見かけます。
また、近くに熊本県有数のあじさいの名所である
住吉公園があります。
看板のある風景
名所の花
4号看板

砥用町勢井の旧国道218号線にあります。
旧国道218号線はとても狭い道です。
緑川に架けられた内大臣橋への道にもなりますが
ほとんど地元の人しか利用していない状況です。
掲出した当時は熊本県のお茶どころの矢部町への
主要道路だったのでしょう。
また、矢部町には通潤橋があり
周辺の観光の目玉になっています。
看板のある風景
4号看板

砥用町大辻の旧国道218号線にあります。
ここの砥用〜矢部間の旧国道218号線で
3枚のだるまわた看板を確認しました。
これほど集中しているところはここだけです。
4号看板

矢部町白小野の旧国道218号線にあります。
大分県清川村のだるまさんと同じ表情をしています。
おなかが二つに引き裂かれていて
痛々しさを感じます。
屋根のペンキ塗装が看板の上部を青くしています。
3号看板

砥用町今の旧国道218号線にあります。
軒先が増築されて横からしか見えなくなっています。
画像には写っていませんが左側には
’カクイわた’さんの横文字看板もあります。
自分でも、よく見つけたなと感心します。
4号看板

山鹿市志々岐の県道玉名〜山鹿線にあります。
軒が雨避けの役割を果たしてくれて
だるまさんの顔の表情がはっきりとわかります。
あご髭が長くなっていますね。
看板のある風景
3号看板

山鹿市津留の国道3号線にあります。
九州は焼酎どころということで
焼酎の看板もたくさん見かけます。
’高砂わた’さんは熊本市の会社です。
看板のある風景
製綿業界他社の看板
3号看板

鹿北町田淵の国道3号線にあります。
山鹿市熊入町の3号看板と同じく
琺瑯加工がされています。
琺瑯加工された看板は、福岡市の看板屋に
発注していたそうです。
色落ちがありませんので、新しく見えますが
手書き看板が主になる前の昭和30年ころの
製作だそうです。
3号看板

波野村小地野の国道57号線にあります。
波野村は名前のとおり野が波うっているような
外輪山の緩斜面に位置する村です。
荻岳からの眺めはその波うっている状態が
とてもよく解りますので、近くに来られたら
行かれるのをお勧めします。
看板のある風景
4号看板

高森町高森峠への旧国道325号線にあります。
現在の高森峠への道路は大変よく整備され
以前の別名九十九曲がりの峠道は
ほとんどが閉鎖されてしまいました。
看板が残っていたところは、高森の中心部から
少し上ったところで、地元の車しか
通行していないようです。
道路情報も現在は使用されていません。
看板のある風景
4号看板

高森町高森峠への旧国道にあります。
上の看板から少し上ったところにあります。
掲出の時期は、おそらく同じだと思いますが
軒の具合で少しの錆びに留まっています。
阿蘇は看板が残っていそうな感じのする地域ですが
意外に看板を確認できませんでした。
看板の掲出を嫌う家が多かったのかもしれません。
看板のある風景
4号看板

熊本市河内町の峠の茶屋への
峠道の途中にあります。
瀬高のだるまさんと同じ表情をしており
同じ時期の製作と思われます。
河内町は、合併前は飽託郡の自治体でした。
漁業とみかん栽培と温泉が主たる産業の町です。
みかん栽培は山の斜面でおこなわれますので
いたるところにモノラックの軌道があります。
看板のある風景
3号看板

熊本市河内町にあります。
上の看板の道路を挟んで反対側になります。
峠の茶屋は熊本市内と河内町や小天温泉のある
天水町を結ぶ鳥越峠にあった茶屋です。
夏目漱石の’草枕’にでてくるそうです。
(読んだことがないので詳しく述べられない。)
鳥越峠から、さらに熊本市街地が一望できる
金峰山の頂上まで車道が伸びています。
また、熊本市内へ下りたところに
加藤清正の菩提寺である本妙寺があります。
3号看板
4号看板?


熊本市河内町白浜の旧県道1号線にあります。
4号看板の左上が、ほんの少しだけのぞいています。
明らかに右隣の家があとで建てられたのでしょう。
保存状態はとてもいいはずです。
看板のある風景
4号看板

熊本市黒髪の旧国道57号線にあります。
ちょうど熊本大学の正門前になります。
かなり錆びており、時代を感じさせます。
隣りの’カクイわた’に比べますと
大きさが少し大きく見えますが
’イカリソース’と柱に隠れているためで
どうも、だるまわた看板と同じ規格で
0.9mの正方形のようです。
’キッコーマン’も天下一品だったんですね。
看板のある風景
製綿業界他社の看板
4号看板

大津町大津の旧国道57号線にあります。
撮影をしていたら、向かいの美容室のおばさんが
’私がここに来たときには、もうあったよ’
’私は70になるけど、50年はあるんじゃない’
と言っていました。50年は確かなのか解りませんが
昭和30年代に多く掲出していたので
少なくとも40年は、間違いなく経っているでしょう。
看板のある風景
4号看板

熊本市薬園町、通称’三軒町通り’にあります。
壁板の状態を見ますと、もしかして修理されたあと
再度貼られたのかもしれません。
3号看板

八代市日奈久のJR鹿児島本線沿いにあります。
日奈久は琺瑯看板補完委員会の指摘のとおり
いたるところに看板が点在しています。
しかし、高速道路の延長工事や家屋の老朽化で
取り壊されている家屋が幾つかありました。
ちょっぴり寂しい気分になりますが
これも時代の流れで、しかたないところです。
看板のある風景
4号看板

南関町坂下の県道植木〜大牟田線にあります。
南向きの壁に貼ってありますので
かなり色落ちしています。
4号看板が3号看板と重なっていますが
4号がはずれて落ちてきているのでしょうか。
看板のある風景
3号看板

玉東町稲佐の国道208号線にあります。
文字のみ看板ですが
琺瑯加工がされていないため
かなり錆びがきています。
近くのJR木葉駅は以前、野立て看板が
あったところです。
看板のある風景
3号看板

山鹿市熊入町の国道443号線沿いにあります。
だるまわたの文字だけの看板です。
昭和30年ころに製作されたそうです。
隣のマルフクに覆われた看板は、
”おたふくわた”です。
4号看板

八代市興善寺の国道3号線にあります。
ここの看板は、なぜ狭いところに押し込めて
しまったのでしょうか。不思議です。
壁は広いところもありますので
わざわざ、折り曲がるように貼らなくてもいいのにと
思ってしまいますが、看板貼りのOBの方に聞いたところ
このように補修用の壁板代わりに使われるケースも
かなりあったそうです。
まだ、絵を裏返しされるよりは、ましですし
結果として絵が残っているので、よかったともいえます。

看板のある風景

今後の予定
本渡市・牛深市・天草郡の調査をします。

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